子育て支援事業
わんぱく教室(くるみっ子教室)について
・対象者
家庭で保育をしている親子(0歳〜就学前のお子様)
10:00~11:00
室内遊び・戸外遊び
11:00~11:30
絵本の読み聞かせ・手遊びやリズム体操
親子の触れ合い遊びなど
是非遊びに来て下さい
たくさんのご参加お待ちしています
実施日及び時間
1)毎週火曜日
2)午前10時〜午前11時30分頃
3)担当保育士 1名
子育てコラム 出典:「子どもへのまなざし」 児童精神科医 佐々木正美
12月 トイレットトレーニング
トイレットトレーニングとは、ひとことで言いますと、おしっこやうんちを便器の中にしなさい、パンツの中や、部屋や廊下や運動場にしてはいけません、こういうことを教えるわけです。トイレットトレーニングをする時は2歳前後ということでして、そのころの幼い子どもの気持ちというのは、非常に特有のものがあります。たとえば体についているものとか、自分の体内にあるものとかを、不潔なものとか汚いものとは、決して思っていないのです。それどころか、自分の体の一部ですから、排泄物にも愛着さえ感じているのです。子どもにとっては自分の鼻水であるとか、おしっことかうんちとかいうものは、「自分のもの」なのですから、子どもにとっては大事なものなのです。ですからオムツがとれる前の子どもが、うっかりおしっこを漏らしたとか、うんちを漏らしたなんて時、たいていおしっこをバシャバシャと叩いたり、「いけない、なにか落っことしちゃった」という感じで、うんちを拾いますよ、「自分のもの」ですからね。ところが、うんちにしろおしっこにしろ、親や保育者はそんな子どもの様子をじっと見ている余裕はないわけです。「ああ大変、嫌だ嫌だ」なんて言って子どもが「自分のものだ」と主張する前に、あっという間に片づけてしまうわけです。そのあたりのことは、小さい時に大事にしていた玩具を、もう遊ばないだろうと捨てられてしまったという感じに似ていると思います。子どもは壊れてもう遊べないような玩具でも、理由もなく、とっておきたいと思うのです。こういう時の子どもの気持ちは、おしっこやうんちの時とちょうど同じなのです。大切な「僕のもの、私のもの」なのです。では、おしっこやうんちの時、便器に座らせたりして教えることがいけないのか、無意味なのかというと、勿論そんな事はありません。教えなければ、いつまでもできないのですから。ただ大切な事は、くり返しそのことを伝えながら、本当にあなたがここで上手にできるようになるのはいつか、楽しみに待っていてあげるという気持ちです。あなたはいつもこのくらいの時間に、たいていうんちやおしっこがオムツの中に出ているから、トイレでしてちょうだいということを、できるようになるまで、ただくり返し伝える。そしてオムツをとってあげて、オマルに座らせてあげる。これが練習です。いつかできるようになる日を楽しみにしている、できない間は手伝ってあげるから、心配いらないというメッセージを伝え続ける。これがしつけです。伝えるところまでがしつけでありまして、いつからできるようになるかは、子どもまかせにしてあげるところに、いつけの一番重要な鍵があるわけです。子どもまかせにしてあげるから、自律心が育つのです。自分で物事を決めていくという意味です。子どもの自律というのは、しつけを通じて育てるのですが、つまり「あなたはうんちが出るまで座っていなさい、立っちゃいけない」と、こういうやり方では自律心の発達を妨げるのというのはもうお分かりですね?他律ですものね。しつけをする時に大切なのは、くり返しよく教えてくれて、上手にできるようになるのを、焦らず苛立たないで、じっと待っていてくれるという事なのです。親や保育者に対する信頼感と尊敬の気気持ちは、こんなふうに育てられることが大きいと思います。人を信じ、尊敬して、自分に誇りや自信をもつための基本的な感情は、このように育てられると思います。そしてこの基本的感情が、自分の感情や衝動を抑制する機能、自律性というものを発達させるのです。このようにして子どもは、ゆったりとした育児のされ方をしていれば、あれこれ多少早い子と遅い子はいますけれども、みんなしっかり自律心を発達させていきます。そうすると必要なことはなんでも、自分でできるようになっていきます。これが自立です。
11月 子どもにとってのいいしつけ
しつけというのは、子どもの自尊心を傷つけるようなやり方でしようとしては、絶対にいけないのです。それはしつけなんかではないのです。反逆心、敵意、憎しみ、そういう感情を内在化させるだけです。大人と子どもなのですから、対等じゃないのですから。子どもがいい子でいてくれたら、こちらも言う事を聞いてあげる、なんていうのでは、これは大人と子どもの関係ではありません。たまに親子で本気になって、対等にけんかしている人がいますが、そういうことは両方にとって不幸なことです。それは大人が成熟不全だと言ってしまえば、それまでのことですけれども。子どもの望んでいることを、なんでも言う事を聞いていたら、子どもを過保護にしてしまうと思っている親が、案外多いのですね。けれども、子どもは過保護で悪くはなりません、子どもが望み、期待した通りに聞いてあげすぎたため、依頼心ばかりが大きくなって自立心が育たない、子どもがダメになったという話は、本当に聞いた事がありません。そう言われている場合のほとんどは、過保護どころかその反対の過干渉です。なぜかというと、子どもはだれもが、自然の向上心を持っているのです。ほおっておいたって、本来はみんなしっかりしようと思っています。だっこやおんぶをやりすぎたから、歩かない子どもになったということは絶対にないですよね。子どもはできることなら、どんなことでも頑張りたいと思っているのです。頑張る自分を確かめて安心したいと思っているのです。親や周囲の人の称賛を得て喜びたいと思っているのです。ですから、安心して頑張れる気持ちや環境を、つくってあげることが大切なのです。運動会があれば、だれだって一等になりたいと思っているのです。お絵描きをすれば、みんなより上手な絵を描きたいと思っているのです。だれだってそうです。なにをやったって一番になりたいと、どの子どもも思っているのです。ですから「がんばれ」とか、「こうしろ」なんて言う必要はほとんどないのです。子どもは本能的にりっぱな事をして、親やみんなから褒められたい、受け入れられたいという気持ちを十分にもっているのです。ですから、よほどのことがない限り、ありのままの子どもでいいのだという態度で見守ってあげていれば、それでいいのだと思います。けれども、本来そういう感情や意慾を十分にもっていながら、褒められような事ができない、やらないという子どもは、たいていの場合、褒められるような事をする前に、自分の言う事を聞いてほしい、甘えさせてほしいと思う事が、たくさんあるのだということです。そういう子どもに対して、十分意慾や勇気が湧き出てくるのを待てないで、早くからガンガン叱りながら、大声で何かをしつけようとするのは、どう考えてもうまい育児ではありませんし、いい教育をしているいい母親ということにもなりません。子どもは自分が大切にされていることを十分実感できなければ、意慾的にはなれないのです。